「あおぞら組のやじるし」を探す旅
組長の島ヤッコでごんす!
畦地履正さんとの出会いがきっかけで、
株式会社四万十ドラマからノウハウ移転ってやつを
受けるようになった本州最北端のまちおこしゲリラ。
その四万十ドラマが創立15周年を迎えるということで
こりゃもう、行がねわげにいがね!っちゅうことで、
バグダン女3人、旅に出ました。
高知で迎えた10月31日の朝。
私たちとアホ同盟の契りをかわした塩井さんが、
お迎えに来てくれた。
赤岡町にある芝居小屋「弁天座」を運営する親分。
バグダン3人をあちこち案内してくれて、四万十まで連れていってくれる。
こんな写真しかなくて、ごめんよう塩井すわ~ん。
まんずオーガニックマーケットへ行き、
商品の見せ方・つくり方をびんびんに勉強。
マッサージまで出店していて、エビ姉がこんなことに。
その後、念願の高知城へ。
今までわいは3回、高知に行っているのだけども、
高知に行ってきたというと、必ず「高知城どうだった?」
と聞かれてきた。だからもう、4度目は絶対なにがあっても
高知城には行かねばらんと決めていた。その高知城を超~堪能。
おばばの「アイスクリン」まで食し、
あまりの満足感に「はあ、これで大間さ帰ってもいいよの」と
3人で言い合っていた。
四万十までの2時間あまりの道々。
塩井親分から、弁天座の話やら土佐っこタウンの話やら
貢ぐ女の話やら映画をつくる話やら青森をテーマにしたCM曲つくれい!
という話やらハチキンおばばの話やら、共感ぶりぶりの
ディープなあれこれを聞いて、さらに満足。
「はあ、これで帰ってもいいよの」状態で、
会場となっている道の駅「四万十とおわ」へ。
ななんと気温26度。快晴〜!
ゆるゆると流れる四万十川を眺めながらの「ドラマのドラマ」。
スタート時間になっていたけど、どうしても栗ソフトが食べたくて、
こそこそ食っていたら、ちゃんと前のほうに座れと
履正さんに怒られたバグダン3人。
智子ねいさんの核心をずぶずぶと突いていくネタふりで、
四万十ドラマのこれまでの15年が暴かれていきました。
それが第1部。そして第2部は、「ドラマのやじるし」。
これからの15年の向かう先を探る。パネラーのみなさんが、
矢印のヒントになることを次々にお話されたのですが。
四万十ドラマのことでありながら、どうしても
わがことを考えてしまう。
「自分だけ突っ走って地域の人たちの心と離れちゃ~いかん!
そのためには情報共有が大事。」身につまされる話がいっぱい。
そしたら、残る二人も同じくあおぞら組のこと考えてました。
大間に来て、「加工」についてのアドバイスを
ピシピシくれた上村さんと。休憩時間も無駄にせず、栗をばくばく食う。
四万十グリーンピースの川ちゃんと。
川ちゃんが大漁だべさバッグなのに、わいはコーチ。
「なにそのバッグ」とツメられた。
その夜の大宴会!盛り上がらないわけがない。
四万十メンズの四万十数え歌がご披露されたが、おかしすぎて泣けてくる。
魅惑のバンド演奏(メンバー半分がエアー)も繰り広げられたが、
当方のバグダン女ワン・ツーが「わいどもドンズギ踊り、やりたくた」と
悔しそうだった。
履正さんのでっかい目玉から、涙がぽろぽろ落ちてきて、
ドラマにドラマがいっぱいあったことを、思い知らされた。
四万十ドラマは15才。人間で言えば、これから高校生になる。
一方、わいどゲリラはもうすぐ小学校4年生。これもまた節目なり。
智子ねーさんが教えてくれた。小学校3年生までは「慈育」。
小学校4年生からは「自育」になるんだと。つまり、周りから慈しみ
育てられてきた期間から、自分で自分を育てていく期間に突入~
ってわけ。なるほど!と思う。
そして、この御方が梅原真大先生なり~!
バグダン・デザイナーたらこの先生は、
地デジ(地元デザイナー・ジャパン)の迫田先生。
迫田先生の先生だから、大先生なのだ!
わいどのゲリ活にも、インスパイアーぶりぶりだったのだが
実際にお会いしたことはなく、大先生がわいどのゲリ活に
どういう反応をされるのか、しょんべん出そうなほどドキドキだった。
「ん?なにこれ、オーマの休日?いいね~!」
オーマの休日もパロディーなのだが、さらにパロディーの
「リョーマの休日」を撮る、とまでおっしゃった。
うれしくて、しょんべん出そうになりました。
お別れの朝。栗焼酎が大人気の無手無冠(むてむか)の女将さんと、
私たちと同じく四万十ドラマからノウハウ移転を受けている
熊野軍団。智子ねーさん、履正さん、お肌ぴちぴちの
高知大生あずさで記念写真。四万十とお別れして、高知市内へ。
東京行きの飛行機に乗り込んだのでした…。
(ヤッコ)
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