函館のイカレ女sachiyoの襲撃!
クミチョーのヤッコです。
わいも相当イカレているとは思うが、この女のイカレ度は
わいを遥かに超えている。
2年前、函館でひと夜限りのキャバレー「未完成」を完成させた女。
大門にあったというそのキャバレー。伝説のマグロ漁師である浜端アニも
「おお!行った!行った!」と言っていた。
腹巻きに札束おっ立てた漁師たちで、ぶいぶい賑わっていた
そのよき時代が、ひと晩だけ復活したのだ。
して、このイカレ女は、さらにイカレたことを考えついた。
2009年は、函館開港150周年。
緑の島という小さな人口島・巨大な空き地に、巨大キャバレーテントをこさえて
この津軽海峡の海の男たちといっしょに、お祭り騒ぎぶっかます!
お迎えするのは、セクシー演歌の女王(というのか?)・八代亜紀さま。
(sachiyoが「亜紀さま」「亜紀さま」言うもんだから、すっかりうつった。)
イメージポスターには、こんなタイトルが踊っている。
「魂疼く、青函帯。海峡野郎と海峡小町、亜紀様とジャズとキャバレーと」
ちなみに「青函帯」は「せいかんたい」と読む。
どんだ、イカレでるべ?
でも、超〜おもしれーべ?
ってごっとで、大間のまちおこしゲリラ参戦!
目には目を!イカレ女にはイカレ女を!
ってごっとだべが。
まあ、いいべ。
(ヤッコ)
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コメント
はじめまして。
青函帯(と未完成)スタッフの なべなべ です。
リンクをたどってやってきました。
お会いできる日を楽しみにしています。
投稿: なべなべ | 2009年8月 6日 (木) 22時23分
はじめまして。
さちよさんのブログを見て、余りの感激に我慢できずに投稿させて頂きました。
いきなりで申し訳有りませんが私の娘は今、石巻市で被災者の方々をご助力するために、NPOを立ち上げ移動支援の仕事をしております。
6年前、突然「私も何か応援したい」と言って、ボラティアに行ったきり住所も移して戻ってきません。
素晴らしい事だとは思いつつ、何故そこまでやるのかなー等と不謹慎な思いに駆られている、ダメな親です。
処がこの度さちよさんのブログを見て、本当にびっくらこいてしまいました。
世の中は広いなー「娘よりすごい人がいる」上には上がいるものだと、つくづく感じいった次第です。
大変申し遅れましたが、私は札幌市手稲区で電気管理事務所を営んでおります、村島光泰と申します。
S20年4月生まれで、71歳になります。
さちよさんのブログを拝見させて頂いたのには、訳があります。
私は北海道の工業高校を卒業して、本州大手の電気工事会社の札幌支社に就職しました。
日本中が高度成長期で、希望に溢れてがむしゃらに働いていた時代でした。
24歳の時、函館国際ホテルの新築工事のため、函館に出張しまして、その後約3年間函館に暮らしておりました(S44年頃です)
丁度、仕事も覚えて酒も覚えた頃で、先輩に連れられて
初めてキャバレーに行ったのが、未完成との出会いでした。
大人の世界の妖しい魅力に一発で参ってしまい、それからは給料と出張手当の総てを未完成に捧げて暮らしました。 幸い素晴らしいホステスさんともめぐり合って、今考えても眩いばかりの日々を過ごさせてもらいました。
その後、がむしゃらに働いて事務所もようやく軌道に乗ってきましたが、歳のせいかこの頃みよーに昔が懐かしく、衝動的に函館に行ってしまいました。
忘れもしない大門に足を踏み入れましたが、未完成は跡形もなく愕然となりました。
写真一枚有るわけではなく、47年たった今となってはあの頃が夢のまた夢の世界に成ってしまった訳です。
でもせめて、何か写真の1枚でも手に入らないかとネット調べたら、さちよさんのブログに出会いました。
掲載された写真をみて当時を思い浮かべると共に、その後の長い人生に「ご苦労さんでしたね」と、自分なりに区切りをつける事ができました。
これも、さちよさんが「余計な事が出来る」人間パワーで、未完成を忘れたくない人達の、心の奥の消えそうな思いでに明々と火を付けてくれたお蔭です。
本当に感謝いたしております。
取り敢えずお礼の一言も述べなければ、人の道に外れると思い、お便りいたしました。
今後供、多方面でご活躍される事をお祈りしております。 突然のメールで失礼いたしました。
投稿: 村島光泰 | 2017年4月 2日 (日) 22時03分
余計なことが出来る...最強ですねsachiyo
さんに幸多かれヽ(^o^)丿
投稿: 歌舞ディスコ基地 | 2019年10月 4日 (金) 19時12分